先日、日本へ行って 実家に泊まったおりに探し物をしていたら ちょっと面白いものが出て来た。 「調査書」 というタイトルの書類。 大学入試のときに 受験する大学に提出した書類で、 要は高校3年間の通信簿のようなものである。 […]

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サラリーマンとして 上海で勤務していた頃は 中国経済の急成長とともに 日系企業が大挙して進出して来た時期で、 上海で働く日本人がどんどん増えていた。 自分も20台後半から30台の前半、 会社の中では若手から中堅に差し掛か […]

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1990年代後半から2000年代前半にかけて、 中国は年率10%近い経済成長率の中にあった。 国全体でならしての10%ということなので、 経済の中心地である上海に限っていうと おそらくその倍ぐらいの成長を遂げていただろう […]

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上海勤務時代、 その後の自分の人生に大きく 影響を与えることを開始した。 「投資」である。 身ひとつで中国へ行ってから 現地の支社に入社した経緯があったから 僕ははじめは現地採用という形で、 自分の住む部屋の家賃などすべ […]

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1996年に僕が入社した 大手玩具メーカーの上海販社。 まともな営業活動の他に 多くの時間を割いた仕事があった。 それは、 「本社幹部の社内接待」 である。 一応、13人市場の開拓という 多大な期待を背負ってグループ企業 […]

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1996年7月、 上海虹橋空港に降り立った。 10ヶ月前に語学研修生として はじめて踏んだ中国の地。 うだるような暑さの上海の夜、 タクシーで会社が用意したホテルに到着。 ベッドに身体を横たえて天井を見上げる。 とにかく […]

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復旦大学にいた時期、 中国語習得のために勉強するだけでなく 実によく遊んだ。 上海に着いてまず驚いたのが物価の安さ。 周辺の食堂では 10元(約150円)も出せば 腹一杯食べることができた。 留学生寮の売店で売っていた […]

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語学研修の学生なので 一応大学構内の教室に通う形の 授業のカリキュラムは用意されていたが、 そちらは1ヶ月ほど通ってあとは出るのをやめた。 代わりに3人の中国人学生と 知り合って週に1度から2度ずつ必ず会って、 中国語と […]

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1995年9月、上海虹橋空港に降り立った。 海外勤務を目指して会社員になったが、 結局その目的を達することができなかった。 「中国で仕事をする」 という決心をしたからには これ以上の回り道をしたくはなかった。 それまで経 […]

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海外資産運用メールマガジン【国境なき投資戦略】

投資家として、そしてFA(ファイナンシャルアドバイザー)として海外で20年間生き抜いてきた玉利将彦が独特の視点から語る海外投資の極意

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