1995年9月、上海虹橋空港に降り立った。
海外勤務を目指して会社員になったが、
結局その目的を達することができなかった。
「中国で仕事をする」
という決心をしたからには
これ以上の回り道をしたくはなかった。
それまで経験した仕事は
中国とは縁もゆかりもない。
中国語もまったく話せない。
その条件を考えたとき、
とにかくまず中国に渡って
言葉だけでも習得しよう、と考えたのだ。
上海の名門、復旦大学での
1年間の語学研修コースを申し込んだ。
学生ビザ(Xビザ)が取得できるので
合法的な滞在が可能なうえにUSD3.5/日で
学生寮に入ることもできる。
とりあえず長期滞在の身分で入国して
言葉を覚えたらそのまま中国で働ける
仕事を見つけて定住してしまおうと思った。
当時28歳、再び学生に戻ったわけだ。
かなり年季の入った学生で
肩身の狭い思いをするのだろうか、
と思いきや、その懸念は学生寮に
足を踏み入れた瞬間に吹き飛んだ。
留学生には実にいろいろな国から
様々な年齢層の人たちが集まっていた。
日本人は高校や大学を出たばかりの
若い人たちが多かったが僕と同年代で
企業や官庁から派遣された人もいた。
大学院生や博士課程の学生、
国に帰ればすでに教授や助教授を
務めている中国研究者。
湾岸戦争から帰還した元アメリカ海兵隊将校。
夫婦で留学生活を楽しむ人。
ハーバードや
オックスフォードの現役学生、
将来国の中枢を担うべく国費で
派遣されたようなキラキラのインテリから
元ヤンキーや軍法会議を恐れて
祖国に戻れない脱走兵までいた。