激流の上海、サラリーマン時代(1)

1996年7月、
上海虹橋空港に降り立った。

10ヶ月前に語学研修生として
はじめて踏んだ中国の地。

うだるような暑さの上海の夜、
タクシーで会社が用意したホテルに到着。

ベッドに身体を横たえて天井を見上げる。

とにかく一年で言葉を
覚えて中国で仕事を見つける、
という目標はクリアしてスタート地点に立った。

僕の入った会社は
日本の大手玩具メーカーが
上海に新しく作った法人。

自社の商品を中国国内で
販売するのがミッション。

結構困難な仕事だった。

我々の扱っていた商品は
いわゆるキャラクター商品で
アニメや実写のキャラクターの版権を買って
その玩具を製造販売するというビジネス。

ところが
当時の中国は版権を無視した
安価なコピー商品が氾濫している状態で
そこに正規ブランドとして
切り込んでいかなければならない。

正規品は
まったく同じ形をして同じ機能を備えた
コピー品よりも5〜6倍値段が高い。

例えば、
正規品の価格が60元に対し、
コピー品の価格は10元程度。

当時は上海でも
一般サラリーマンの平均給与が
2,000元ぐらいだったのでどうしても
消費はコピー品の方に向かってしまう。

そんな中で試行錯誤を
繰り返しながら今度は中国全土を
駆け巡って営業活動をする
日々を過ごすことになった。

当時の年収は手取りで500万円程度、
給与は米ドルで受け取っていた。

同年代の
サラリーマンとしては
平均的な収入だったが、
当時の中国は物価が安かったので
手元に残る現金は結構多かった。

この余剰金をもとに
1997年頃からインターネットを通じて
株式取引を行なうようになった。

海外資産運用メールマガジン【国境なき投資戦略】

投資家として、そしてFA(ファイナンシャルアドバイザー)として海外で20年間生き抜いてきた玉利将彦が独特の視点から語る海外投資の極意

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