激流の上海、サラリーマン時代(3)

上海勤務時代、
その後の自分の人生に大きく
影響を与えることを開始した。

「投資」である。

身ひとつで中国へ行ってから
現地の支社に入社した経緯があったから
僕ははじめは現地採用という形で、
自分の住む部屋の家賃などすべて自前で負担していた。

ところが
2年ほど勤務したのちに
本社に転籍するチャンスをもらって、
立場的に日本の本社から上海支社に
派遣されている駐在員という形になった。

福利厚生が本社の基準となり、
社会保険や厚生年金に加入して
住居の家賃などもすべて会社負担となった。

当時独身だったので
単身赴任扱いではあったが、
物価の安かったということもあり
手元に残るキャッシュが増大した。

「余剰金を何とか運用できないだろうか?」

と、考えたのが
投資をはじめたきっかけだった。

まずは取りかかりやすい
日本株の取引をはじめた。

1998年頃のことである。

ちょうどその頃、
日本やアメリカでは
インターネットによる株式の取引が
普及しつつあった。

現在では海外居住者は
日本の証券会社を通じての取引はできない。

それはキャピタルゲインの
税金をすべて確定申告しなければならないためで、
日本に納税することのない海外居住者は
申告のしようがないからである。

だが当時は
キャピタルゲイン税の納税の仕方には
1年に1度確定申告をする申告分離課税と
利益の有無にかかわらず売買取引の度に
源泉徴収をされる源泉分離課税があった。

その源泉分離課税を使って
納税すれば取引は可能だったのである。

本来は支払う必要のない金だったが、
投資をするためのショバ代のようなもの、
と割り切った。

日本に帰国したときに
金融商品や株式についての本を
買い込んでは売買に励んだ。

当時の日本株市場は
バブル後の低迷期にあったので
それほど良いパフォーマンスを
記録したわけではないが、
実際の取引を数多く経験することによって、
トレーディングのいろはを身につけることができた。

海外資産運用メールマガジン【国境なき投資戦略】

投資家として、そしてFA(ファイナンシャルアドバイザー)として海外で20年間生き抜いてきた玉利将彦が独特の視点から語る海外投資の極意

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