とにかく行ってみるさ。中国上陸(3)

復旦大学にいた時期、
中国語習得のために勉強するだけでなく
実によく遊んだ。

上海に着いてまず驚いたのが物価の安さ。

周辺の食堂では
10元(約150円)も出せば
腹一杯食べることができた。

留学生寮の売店で売っていた
青島ビール大瓶1本がなんと
4元(約60円)だった。

酒は好きだったが
日本にいるときは自分の懐と
相談して飲む必要があった。

いきなり5分の1の
値段になったのである。

それ以来1日も欠かさず
毎日最低1本は飲むことになった。

英語が話せたのも良かった。

2人部屋の宿舎で同室だったのは
僕より3つ年上のドイツ人だった。

他にも特に欧米系の留学生は
20代後半の同年代が多かったから
精神年齢の同じ彼らとコミュニケーションが
とれたことで人間関係が一気に広がり、
毎日のように近くのバーで飲んで語った。

この場では詳しく
書けないようなこともやったし、
学ぶことも多かった。

戦争に行ったことのある人や
国の体制が崩壊した混乱を経験した人もいた。

彼らは人の命を奪ったり、
今の日本では違法とされる
ようなこともして生き抜いてきていた。

逆を言えばそうしなければ
ここまで来ることはできなかった、のである。

平和な日本の道徳観では
やっていけない世界があるのだ。

年が明けて
1996年3月頃から就職活動を始めた。

上海に進出している
企業に片っ端から履歴書を送り、
香港の人材紹介会社に登録して連絡を待った。

いくつかの会社から連絡があり、
面接に行ったり、インターン的な
アルバイトをさせてもらったりした。

そして7月。

その年に進出を計画していた
日本の玩具メーカーの上海現地法人に
採用されて中国でのキャリアがスタートした。

海外資産運用メールマガジン【国境なき投資戦略】

投資家として、そしてFA(ファイナンシャルアドバイザー)として海外で20年間生き抜いてきた玉利将彦が独特の視点から語る海外投資の極意

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