激流の上海、サラリーマン時代(2)

1996年に僕が入社した
大手玩具メーカーの上海販社。

まともな営業活動の他に
多くの時間を割いた仕事があった。

それは、

「本社幹部の社内接待」

である。

一応、13人市場の開拓という
多大な期待を背負ってグループ企業で
はじめて中国に進出した会社ということになっている。

本社の社長以下、
専務・常務、ヒラの取締役から
部課長クラスに至るまであらゆる人が
毎週のように日本から訪れた。

ほとんどは
中国の市場視察と称した
物見遊山の出張である。

当時の本社は
ふんだんに利益が出ていて、
「将来を見越した中国市場の考察」
という名目で会社の上層部はいくらでも
出張に来ることができた。

我々としても事業の展開上、
本社の幹部、事業部と良好な関係を
築くことはマイナスにはならないので
そうした出張者を快く迎えたわけだ。

日中に2時間程度の
ミーティングと市場の観察、
ときには蘇州や杭州などへの観光にも
同行しながら出張者をもてなす。

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夜は上海蟹や北京ダッグの
食べられるレストランで食事のあと、
女の子のいるカラオケバーやナイトクラブでの
エンターテイメントとなる。

多いときには
それが週に3回、4回と続いた。

というわけで、
本業の商品を売るための販売店と
奇麗なオネーチャンが揃っている店の
両方の開拓に心血を注ぐことになった。

世紀末の中国は実体経済も
夜の経済もまさに急速な成長の真っ只中。

サービスと価格を自分の目を頼りに
観察しながらもっともホットな場所で
権力者を接待して協力を得る。

相場の確立したあとでは経験できない
ダイナミズムが存在していた時代。

魚心あれば水心。

めまぐるしく成長を遂げてゆく
社会が成熟するまさに夜明け前に
少しだけ顔を見せる

「カオス(混沌)」

な時代の上海を縦横無尽に泳ぎ回った。

海外資産運用メールマガジン【国境なき投資戦略】

投資家として、そしてFA(ファイナンシャルアドバイザー)として海外で20年間生き抜いてきた玉利将彦が独特の視点から語る海外投資の極意

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