「僕のパートナーを紹介します」 と、真田孔明が彼を引き合わせたのは2010年秋の香港。 ”なるほど。技術者っぽい。 だけど意外にデカいな。。” というのが第一印象。 メガネの奥に聡明そうな目を携えた 180cm近い上背の […]
続きを読む「さっき、 ◯◯さんからどちらを選ぶか決めろ、 と迫られちゃいました。。」 2010年の10月頃、 真田孔明から電話がかかってきた。 こちらにしてみればとうとう来たか、 というだけの感じだった。 多くの会社で副業をするこ […]
続きを読む再び我々の運命が交わったのは 真田孔明が広州に転勤し、 「上海札束の会」 が自然消滅してから3年を経た2010年。 香港の金融ライセンスを取得し、 生命保険の仲介や金融機関の口座開設サポート、 インターネットバンキングの […]
続きを読む会社を退職して取りかかった ビジネスのパートナーが病に倒れ、 上海でゼロから自活の途を迫られていた2006年。 彼は本社からの辞令によって、 香港法人から上海法人に転勤してきた。 真田孔明。 相変わらず会社の業務の傍ら、 […]
続きを読むもう11年前になる。 当時、僕は日本企業の 駐在員として香港で勤務。 会社の業務の傍ら、 金融フリーゾーンである 香港という地の利を生かして 一投資家として活動していた頃だ。 「SARS(重症急性呼吸器症候群)」 という […]
続きを読む2000年台初頭。 競馬の騎手になるという 夢を追いかけてオーストラリアに渡った かつての少年は、 看板持ち、ネット回線の営業、 ホテルマン、ティッシュ配り、スーパーのレジ打ち等々、 アルバイトと派遣に明け暮れる日々。 […]
続きを読む香港の日本人向け週刊新聞 「Pocket Page Weekly(PPW)」 の創業者オーナー、垂石洋昌。 中国、香港という 異国の地で自分の事業を立ち上げ、 度重なる危機を乗り越えながら15年間 生き残ってきた文字通り […]
続きを読む社長1人、社員2人、 再び小さな所帯に戻って再出発。 ところがそこに もうひとつの危機が訪れていた。 「ぽけっとページ」 の発行を開始した頃、 現地に住む日本人向けの 雑誌媒体はごく少なかった。 ところが それから5〜6 […]
続きを読む北京、上海、香港。 この3カ所に4ヶ月ずつ滞在して、 電話帳「ぽけっとページ」を発行する 彼のビジネス。 僕が上海に住んでいたときは 春から夏にかけて彼は上海にやってきた。 僕は香港に移ってからは 秋から冬にかけて彼は香 […]
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