投げる新聞社オーナー 垂石洋昌(1)

はじめて会ったのが2000年。

当時、僕は玩具メーカーの社員で上海勤務。

年々急増する日本人駐在員で
作った草野球チームに加入してくるなり、
ビュンビュン生きの良いストレートを
投げ込んでいた。

宮城県の元高校球児。

東北高校と仙台育英が
甲子園出場をほぼ独占する中で
公立の進学校だった母校を東北大会という
甲子園の一歩手前まで唯一導いた腕前は
まだまだ健在だったねぇ。

香港の日本人向け週間新聞

「Pocket Page Weekly(PPW)」

の創業者オーナー、垂石洋昌。

アメリカの大学を卒業後、
1996年にフリーの記者として北京に渡る。

しかし
ジャーナリストとしては芽が出ず、
記事を書きながら現地採用社員として
日系の会社で勤務していた彼は1999年、
友人とともに中国で起業した。

現地に住む日本人にお役立ちの
会社やレストラン、ナイトクラブなどの
住所・電話番号を集めたポケットサイズの電話帳。

140720pp

「Pocket Page(ぽけっとページ)」

それをフリーで
中国在住の日本人に配布する。

収入源はその電話帳に載せる有料広告。

持ち運びに便利だからバッグの中に
ひとつ放り込んでおいても邪魔にはならない、
そして日本からの来客があったときなどは
それを開いて食事や飲み会の場所を調べる。

そこにひと際目立つように
広告を載せることができれば
飲食店には宣伝効果はあるわけだ。

いわばフリーペーパーの一種。

しかしこうしたものは
1年に1度発行すれば充分だ。

彼は北京を皮切りに、
上海、そして香港・広東地区で
このポケットサイズの電話帳を
発行して廻ることにした。

1999年の春に北京で第一号を発行。

思惑は見事に当たり最初から利益を計上。

そして
上海での第一号を発行するために
やってきたのが冒頭の時期というわけだ。

当時は日本人向けの
こうした情報誌がなかったから、
実際自分にとっても随分重宝したのを
憶えているよ。

そうして
1年に3つの地域を移動しながら
電話帳「ぽけっとページ」を発行して収益を得る。

まるで季節労働者のような
彼のビジネスが展開していったのさ。

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投げる新聞社オーナー 垂石洋昌(1)」への1件のフィードバック

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    返信

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