外国語を話す感覚の正体

英語が話せるようになって20数年、
中国語を操るようになって18年の歳月が過ぎた。

それ以前は日本語しかわからなかったわけだ。

もちろん、

「外国語が話せるようになりたい」

という強い動機があって
机に向かって随分勉強したり、
オーストラリアや中国に行った一年目は
必ず現地の人と現地の言葉でしか話さない時間を作って
言葉の習得に努めた。

まだ言葉ができないときに、
外国語を話すという感覚について
明確にイメージしていたことがあった。

それは、

「頭の中で自分が言いたいことを
いちいち英作文して、それを口に出す」

ということ。

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外国語は常に自分の外にあるツールで、
それを使って自分の言葉を翻訳して使うもの。

今、外国語を習得しようとしている人も
同じようなイメージを持っているのではないだろうか?

確かに外国語を話し始めるときは
自分もそうだったかもしれない。

でも今は違う。

無意識のうちに相手に対して、
もっとも効果的な話し方とか語彙を選んで
しゃべっているという感覚なのである。

日本語でも成長とともに語彙が増えてくるだろう。

生まれたばかりの子供は
まず最初に母親のことを「ママ」と言うが、
成長するに従って、

お母さん、母ちゃん、母、おふくろ、おかん、

とどんどん増えてくるはず。

そして時と場合によって使い分けるはずだ。

教師や上司など目上に対しては、

「私の母が・・」

というところ、
友達同士の会話では、

「うちのおふくろ(おかん)が・・」

と言うふうになるだろう。

外国語を話すときもそれと同じような感じだ。

話す相手が英語の通じる人なら、

“My mother..”

となるし、

中国語しか通じない相手なら、

“我妈妈..”

というのが相応しい、だからそう言う。

つまり、外国語は
自分の言いたいことを翻訳するツールではなく、
自分の中に内包されているものであり、
伝える相手に通じるようにそれを選ぶもの。

母ちゃんもMomも妈妈も
あくまでもすべて自分の言葉だけど
相手に相応しい言い方で口に出すもの。

そんな感覚なのだ。

海外資産運用メールマガジン【国境なき投資戦略】

投資家として、そしてFA(ファイナンシャルアドバイザー)として海外で20年間生き抜いてきた玉利将彦が独特の視点から語る海外投資の極意

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