同じ時期を中国で過ごした英国人の不動産投資

私がはじめて
上海で定住した20年前、
その最初の年に知り合った
友人たちの消息をひょんなことから
知る機会が最近あった。

1995年に
私が住んでいたのは世界各国から
集まった留学生たちが暮らす宿舎。

まだ人民服と自転車が目立った頃の上海。

いまや世界有数の
高層ビルが複数立ち並ぶ
浦東地区にも東方明珠というTV塔が
一本建っているいるだけの状態。

10元(当時のレートで150円)あれば
まともな夕食を腹一杯食べることができた。

世話話をしながら
大通りまでの5分程度の小道を
一緒に歩いたイギリス人の彼の手には
ペンキの缶が握られていた。

訊けば、
近々学校の外に部屋を借りて
そこに引っ越すつもりだとのことだった。

それで
その頃は毎日その部屋へ行き
自分で内装作業をしていたのだ。

その部屋の家賃は
1,300元/月(約2万円)だった。

お互い20代で金もなかったが、
家賃もとても安かったのである。

それから5年ほどのち、
上海の不動産価格は急激に上がり始めた。

2001年に外国人が
自分の名義で不動産を
購入することも可能になった。

上海で日本企業の駐在員だった自分も
その頃2件のマンションを購入したので
その異常な不動産価格の上昇を
自らの経験として肌で感じることができた。

さて、
イギリス人の彼とは
その後会うこともなかったが、
最近別の友人を通じて聴いたところによると
彼はあれからずっと上海で
暮らしているとのことである。

中国人の女性と結婚して
3人の子供がいて、
上海の会社に勤務するという
平凡で幸せな生活を送っている。

ところが彼には
そんな表面上の姿とは裏腹に一時期、
果敢な投資家としての活動があったという。

やはり2000年の初頭、
それほど高くもない給料で貯めた
日本円にして数百万円程度の資金で
上海で物件を手に入れたという。

その後
物件価値が上昇しては
より高級な物件に乗り換える一方、
融資を利用して保有物件を増やし
一時期は上海の中心部に7件の物件を
持つまでになったという。

その資産価値は
日本円にして10億円は下らない。

今彼は2つの
物件だけを残して賃貸に出し、
あとは金融資産に変えているという。

一生何不自由なく
暮らして行ける状態だ。

子供の手前、
家でゴロゴロしているのも
ウマくないので一応は働いている、
というところであろうか。

海外資産運用メールマガジン【国境なき投資戦略】

投資家として、そしてFA(ファイナンシャルアドバイザー)として海外で20年間生き抜いてきた玉利将彦が独特の視点から語る海外投資の極意

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