1990年代前半、日本での勤務時代(2)

異動した先はT課長が
アシスタントの女性と2人で
中東に建設機械や産業機械を輸出していたが、
女性が会社を辞めたばかりで課長の1人の
部門となっていた。

輸入販売ビジネスはまだ売上が立っていない。

どこかで僕の給料を捻出しなければならない。

というわけで、
僕は輸入販売ビジネスを立ち上げながら、
T課長の部門で彼の仕事のアシスタントも
こなすことになった。

輸入販売ビジネスは、
社長がヨーロッパなどの見本市で
日本で売れそうなものを買い付けてくる
インテリア雑貨を僕が販売店を見つけて売る、
という形で始まった。

140808tokyo

社長を含めて輸出一筋でやってきた会社。

国内販売のルートやノウハウを
持っている人員など社内に1人もいない。

教えてくれる人もないままに、
イエローページなどで雑貨を売っている店を
調べては電話や飛び込みでセールスをかける、
ということを繰り返した。

社長の感性でセレクトされた商品が
コンテナ単位で会社で借りた倉庫に届くと、
自らフォークリフトを運転して出荷体制を作る。

翌日には商品サンプルを持って、
小売店に飛び込み営業をかける。

仕入れ以降の仕事はすべて
自分1人でやらなければならない。

数ヶ月過ぎた頃には東急ハンズや
キディランドと行った全国に店舗を持つ
大手にもルートができた。

だが、商品の発注は各店舗の
商品担当に任されているらしく、
今度は全国を回りながら注文を集めてくる毎日が続く。

本来はこうした国内流通は
その地域に根ざした問屋を通じて、
商品を効率良く撒いてもらうのだ。

だが、
そんな常識的なことを学ぶ間もなく
手探りで方法を見つけながら体力勝負で
なんとか売上をあげようと奮闘していた。

海外資産運用メールマガジン【国境なき投資戦略】

投資家として、そしてFA(ファイナンシャルアドバイザー)として海外で20年間生き抜いてきた玉利将彦が独特の視点から語る海外投資の極意

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