夜11時まで
東京の事務所で事務作業をこなし、
そのまま寝袋を積んだワゴン車で東名高速に乗り
静岡あたりのパーキングエリアで仮眠をとって
午前9時には名古屋で商談をする。
そんなことを続ける中でようやく
少しずつ利益が出るようになっていった。
すると会社はT課長が管轄していた
機械の輸出を別の部門に移して統合することを決めた。
我々の部門は国内販売専業にするという措置だ。
逼迫した会社内での業務統合。
リストラの影が迫っていた。
上司1人、部下1人。
今度は一緒に日本各地を奔走することになった。
オープン直前の大手デパートで
明け方まで商品の飾り付けをやった。
納品する商品を
自分たちで運んでいるときに蹴っつまづいて
人でごった返す大阪梅田の交差点のど真ん中で
それをぶちまけたこともあった。
2人で全国各地を駆けずり回った。
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「すみません。辞めるんです」
なんとか、
それだけを言うことができた。
ゼロから関わってきた仕事に愛着はあった。
販売網も整って、
毎月注文がくる状態まで
漕ぎ着けたことに達成感もあった。
しかし、
それは自分の目指していた
仕事ではなかった。
「紙と鉛筆出せ。
俺が辞表の書き方教えてやるよ。
知らねえだろ」
顔を上げると豪快に笑う上司の顔。
28歳。
阪神淡路大震災と
地下鉄サリン事件で世の中が騒然とする中、
僕は会社を退職することの決めた。
1995年。
その6年前に発生した天安門事件による
各国から経済制裁が徐々に解除され、
ロケットのような経済成長を示し始めた中国。
他のどこでもなく、
そこを目指すことにした。
何があろうと自分の定めた目的地は諦めてはいけないのですね。
わかるような気がします。
続けた者勝ち。それは確かにありますね!