46年ぶりに
サウジアラビア国王が日本を訪問した。
訪問団は王族、閣僚、
企業間関係者など総勢約1,000人、
40機の飛行機に分乗してやってきた。
国王が移動に使う車として
1億5,000万円のメルセデス防弾車両や
専用のエスカレーター式の搭乗タラップを持ち込んだ他、
都内の高級ホテル1,200室、ハイヤー500台を利用しているという。
サウジアラビアといえば
世界一の原油の埋蔵量を誇る王国。
1993年までは憲法も議会もなく、
今でも多くの要職はおびただしい人数を誇る
王族によって占められている。
自動車をはじめとして
世界のあらゆる機械の
燃料・エネルギー源となっている石油を
もっともたくさん産出する国であるうえに
絶対君主制の国なので国王に随行できる人は国の特権階級。
一人ひとりが「超」がつく富裕層である。
白い民族衣装に
身を包んでフェラーリを運転し、
ペットは猛獣、自家用機でカジノに繰り出して豪遊という
アラブの大富豪はだいたいサウジアラビアや
アラブ首長国連邦(UAE)、クウェート辺りの人である。
投資家集団としても有名で
世界中のあらゆる投資案件に
オイルマネーを背景とした
アラブ人のカネが入っている。
ソフトバンクの
孫正義氏が創設中の
10兆円の資金を擁する
「ソフトバンクビジョンファンド」
にもサウジアラビアの富裕層が
多額の資金を出資している。
体制的に
支配層階級と庶民の格差は大きいが
それでもガソリンがタダ同然で使え、
税金もほとんどないなど
一般人もその富の一部を享受している。
だがそんな彼らの国も時計の針を100年戻すと
砂漠に部族が点在して暮らす貧しい地域だった。
第一次世界大戦前、
中東地域のほとんどは弱体化した
オスマン帝国の版図の中にあったが、
敗色濃厚だったオスマン帝国解体後の中東地域の処遇は
イギリスが主導したフサイン=マクマホン協定、
サイクス・ピコ協定、バルフォア宣言によって
大戦終結後おおいに混乱した。
英国はフサイン=マクマホン協定では
この地域にアラブ人の独立国家を作る、
サイクス・ピコ協定ではこの地域を英仏露で分割統治する、
バルフォア宣言ではパレスチナ地区にユダヤ人国家を建設する
という矛盾した約束をしていたためである。
いわゆるイギリスの
三枚舌外交と呼ばれるものだ。
オスマン帝国は解体したが
すべて参加者を満足させられる
アレンジができるわけもなく、
大戦後ほとんどの地域は英仏の委任統治領となり
アラブ人の独立が達成されたのは
紅海に面したアラビア半島の一部の地域である
ヒジャーズ王国だけだった。
ヒジャーズ王国は
英国に乗せられる形で
オスマン帝国に対してアラブの反乱を
主導したハーシム家
(イスラム教創始者ムハンマドの子孫)
が王となっていたが、
1925年にリヤド(サウジアラビアの首都)の太守
イブン・サウードに攻撃されて支配権を奪われる。
この地域の新たな王となった
イブン・サウードがアラビア半島の統一と
イギリスからの独立を達成し、
1932年に成立した国がサウジアラビアである。
国土のほとんどが砂漠に覆われ、
遊牧とメッカ巡礼などの観光ぐらいしか
産業のなかったサウジアラビアは
1938年に油田が発見され、
第二次世界大戦後の1946年から油田開発が本格化して
モータリゼーション普及とともに
急速に世界の富を吸い寄せていったのである。
逆を言えば厳しい自然環境下で
有史以来ずっと貧困地区だった場所に
今もっとも必要とされている資源が見つかったという幸運によって
70年程度続く長期のバブルの最中にある国だと言っても過言ではない。
バブルはいずれ弾けるのが世の常。
原油は埋蔵量に限りがある有限資源。
採り続ければいつかは枯渇する。
もちろん
サウジアラビアをはじめとする
主要産油国は早くからそれをわかっていて、
「石油輸出国機構(OPEC)」
という世界最大のカルテルを作り
お互いに生産調整をしながら
できるだけ高く原油が売れるように努めてきた。
だが昨今、
北海油田やメキシコなど非加盟国からの生産増や
科学技術の発展によりシェールガスやオイルサンドからの
エネルギー採取が可能になったことにより
OPECの原油価格の制御も利きにくくなっている。
原油価格は
1バレル百数十ドル台から
20ドル台まで乱高下するようになった。
この価格変動は国の歳入の
8割を石油産業に頼っているサウジアラビアには
特に深刻な問題であるのは想像に難くない。
サウジ国王は
日本のあと中国を訪問する。
自国に石油以外の産業を
新興するために日本にも中国にも
様々な技術協力を求めるに違いない。
今手元にある資金を用いて
自国の長期バブルの収束の前に
新たな稼ぎの柱を立ち上げようと奔走する国王の姿は
今調子の良いのビジネスが衰退する前に
別の事業を育てようとする奮闘する会社経営者に重なって見えた。