5・10年(ごとうねん)の転換点

「5・10日(ごとうび)」
というがある。

一ヶ月のうちで
5日、10日、15日、20日、25日、30日
と5で割り切れる日のことである。

日本では習慣的にこの「5・10日」を
様々な決済日に指定することが多い。

給料やアルバイト料は
5日とか20日とかの支払いが多いし、
売掛金の回収は月末の30日になっているケースなど。

「今日はやけに道が混むな。あ、5・10日か!」

というのは車を運転していて
誰もが感じたことがあるのではないだろうか?

まあそれとは全然関係はないが、
今年は2015年、「5・10日」ならぬ

「5・10年(ごとうねん)」

とも言える年である。

ふと思い出してみると
自分の人生にとってこの「5・10年」が
転換点になっているのに気がついた。

1985年は高校を卒業して
大学受験のために浪人していた年。

地元で消防士になろうとして
採用試験を受けたものの結果は
補欠合格で結局採用の通知は届かず、
それまで考えていなかった大学進学を決心した。

それまで千葉の田舎で
義務教育、高校とそこに暮らす
多くの人間と同じような生活を送っていた。

予備校にも通わず
宅浪と呼ばれる自宅での浪人で
人生初めて真剣に勉強に取り組んで、
当初40程度だった偏差値が
最終的に60以上にまで伸び大学に合格、
翌年から東京で学生生活が始まった。

1990年、
はじめての海外渡航と
長期にわたる外国での生活。

ワーキングホリデーを利用して
オーストラリアで過ごした。

あの一年の生活で英語を習得し、
その後海外で暮らしてゆく考え方の
背骨ができた。

1995年には最初の会社を
退職して中国上海に移り住んだ。

勤務していた会社の業績悪化による
海外拠点の相次ぐ閉鎖により、
目標としていた海外駐在の可能性が
潰えたことにより30歳を目の前にして
語学研修の学生として現地へ行った。

それ以来中国での生活は今年で20年目だ。

2005年には9年間勤めていた
玩具メーカーを退職して独立した。

会社員の頃から続けてきた
ファンドや不動産の投資の経験と知識を
利用して海外資産運用のアドバイザーとして
自分の会社を経営して2015年の今年で10年目。

これから何度の「5・10年」と
ターニングポイントを迎えることに
なるのだろうか?

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投資家として、そしてFA(ファイナンシャルアドバイザー)として海外で20年間生き抜いてきた玉利将彦が独特の視点から語る海外投資の極意

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