英語をマスターして四半世紀の今日(1)

2015年5月、
1週間ほどオーストラリアへ行ってきた。

香港を夕方飛び立ち、
約9時間をかけて朝6時に
シドニー空港に到着する便である。

夏から秋へ向かう
オーストラリアは着陸が近づくとともに
夜明けを迎えるタイミングだ。

赤みを帯びてくる
シドニーの街並みを見ながら、
懐かしい記憶を重ね合わせていた。

ちょうど25年前の1990年。

同じような時間帯に、
僕ははじめて踏み出す外国の土地を
緊張しながらも武者震いをする
気持ちで眺めていたのだ。

海外で仕事をしながら
生きてゆきたいという目標は定まっていたが、
英語がまったくできなかった。

今思えば必ずしもそうでもないが、

「海外でやってゆくためには完全な
英語を話せなければならない。
そのためには現地に行って
1年ぐらいは暮らさなければならない」

と固く信じていたので
ワーキングホリデービザを取得して
オースラリアにやってきたのである。

その結果、
なんとか1年の現地生活で
英語を習得して日本へ帰国、
様々な紆余曲折を経ながらも
当時思い描いたように海外で生計を立てている。

英語でのコミュニケーションが
取れるようになってから四半世紀、
あのときオーストラリアへ向かう飛行機の中で
思い描いたイメージとはまったく
違った結果がひとつある。

それはこれまで僕が
英語で話した相手の9割以上が
英語を母国語としていない、
いわゆるネイティブスピーカーではない
ということである。

オーストラリア行った当初、
ペラペラになった自分が英語を話す相手は
アメリカ人やオーストラリア人、イギリス人などの
英語を母国語とする人たちというのが
自分が描いていたイメージだった。

だがそれから20数年経ち、
自分の経験を思い返してみると、
自分が英語でコミュニケーションをとった相手は
フィリピン人、シンガポール人、インド人、
中東の人、アフリカン等々、
いずれも英語のネイティブスピーカーではない人ばかりだった。

僕自身が主に中国や香港、
そして東南アジアを拠点として
活動していたことも大きな原因だろう。

だが、
よくよく考えてみれば
英語を母国語としている国など
それほど多くはない。

「欧米」という言葉が
示すように我々がついつい
アメリカと同一視しがちになるヨーロッパだって、
本当に英語を第一言語としているのは
イギリスと幾つかある小さなイギリスの自治領しかない。

フランスにはフランス語、
ドイツにはドイツ語、
ギリシャにはギリシャ語があり、
彼らにとっても英語は外国語であり、
あらたに学ばなければならない対象なのだ。

改めて自分がある程度の
英語をマスターしてよくよく聞いてみると、
彼らの英語がそれほど上手ではなく、
どこか変であるのはすぐにわかる。

そんなことを考えていると
にわかに自分の中に何か「ポン!」と
弾けるようなものを感じたのである。

海外資産運用メールマガジン【国境なき投資戦略】

投資家として、そしてFA(ファイナンシャルアドバイザー)として海外で20年間生き抜いてきた玉利将彦が独特の視点から語る海外投資の極意

お名前(姓)
お名前(名)
Eメール

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

海外資産運用メールマガジン【国境なき投資戦略】

投資家として、そしてFA(ファイナンシャルアドバイザー)として海外で20年間生き抜いてきた玉利将彦が独特の視点から語る海外投資の極意

お名前(姓)
お名前(名)
Eメール