中国・香港で生き残るブラザーたち(1)

2015年の今年、
僕が中国に渡ってから20周年である。

阪神淡路大震災が発生し、
オウム真理教地下鉄サリン事件が起こり、
野茂英雄投手が単身アメリカに渡り
その後日本人選手が相次いで
メジャーリーグで活躍する先鞭をつけた年。

上海で暮らし始めた
1年目に知り合ったのがMである。

当時彼は復旦大学の本科に通う留学生。

僕は1年だけの学生ビザを取得して、
同じ学生寮で暮らしながら中国で働く機会を
伺っていたとき。

割とウマがあったので親しく付き合い始めた。

1996年、
イギリス統治下最後の年の
香港をはじめて訪れたときに
一緒にいたのも彼だった。

翌年から僕が玩具メーカーの
バンダイの上海法人で働くようになり、
その後も夜遊びに出かけるなど、
付き合いは続いていたが、
1998年に大学を卒業したのを機に
Mは香港で仕事をすることになった。

2000年の初夏。

上海の駐在員仲間で作った
草野球チームで知り合ったのがTである。

彼は前年の暮れに会社を立ち上げ、
中国に暮らす日本人の生活に役立つ
電話帳を作って無料で配り、
その紙面の広告を販売するという
フリーペーパーの事業を行っていた。

その詳しい経緯は
以下のブログに記述している。

http://world-survivor.com/?p=3

北京、上海、香港・華南地区を
回りながら各所で1年に1度ずつ
電話帳を発行するビジネスの1年目で
夏の数ヶ月間を上海で活動していたのである。

シドニーオリンピックが
開催されていた夏の終わり、
Mが彼女(のちの奥方)を連れて
香港から上海へ遊びに来た。

彼はそれまで勤めていた
会社を辞めて起業の準備をしていた。

その端境期の暇を利用して
久しぶりの上海に来たのである。

ちょうどその日に
野球チームは何かの打ち上げで
宴会をやっていたので、
そこにMを連れて行った。

そこにいたのが
これから上海を離れて、
はじめての香港営業へ向かうT。

知り合っておけば
お互いにメリットがあるかもしれない、
とTにMを紹介したのだ。

二人は想像した以上に意気投合し、
Tが香港へ行くと同時に一部のビジネスを
一緒にやることになったのである。

海外資産運用メールマガジン【国境なき投資戦略】

投資家として、そしてFA(ファイナンシャルアドバイザー)として海外で20年間生き抜いてきた玉利将彦が独特の視点から語る海外投資の極意

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