2度の不動産バブル(日本編)

僕はこの人生において二度、

「バブル」

というものを体感している。

一度目は80年代後半の日本。

日本のバブル景気は
1986年12月にはじまり、
1991年2月に終わった。

つまり51ヶ月間続いたと定義されている。

1986年4月に入学し、
1990年3月に卒業した僕の大学生活は
バブルの中にすっぽりと収まるのだ。

当時学生だった
僕の目から見た日本のバブル。

それは仕事が溢れていて
アルバイト先に困らない世の中だった。

絶対に抜けられない大学の授業と
時給の高い塾講師のバイト合間を
日雇いの現場作業で埋めてゆく。

「上手く調整すれば今日の稼ぎは2万円を超えるな。。」

そんなことを考えながら過ごす日々。

ただ、そうして稼いだ
お金は生活費や旅、酒と泪と男と女に消え、
自分自身が商売や投資を通じて、

「バブルの狂乱」

に参加することはなかった。

ビジネスマインドはなく、
大学卒業とともに企業に就職する
フツーの学生だったのだ。

さて1991年、
東京で社会人となり、
まず自分が直面したこと。

それは、

「家が買えないぞ !?」

という現実だった。

弾けたとはいえ、
まだまだバブルの余韻のある東京では
特に広くもない普通のマンションが
5~6,000万円という価格。

自分の初任給は20万円足らず。

物価の高い東京ではどんなに
切り詰めてもひと月5万円も貯まれば良い。

「いくらなんでもこれは無理!」

そう考えざるを得ない。

一方、会社の上司はすでに
結婚をして家も購入している。

5,000万円の資産家ということになる。

しかも聴けば、
その物件は5~6年前に
2,000万円程度で買ったということらしい。

つまりバブルの前は、
東京でもその程度で家が買えたのだ。

上司は私のわずか10歳年上。

一度目のバブルが
私にもたらしたもの。

それは、

10年の生まれの違いで、
これだけの条件の差が出てしまうのか。

という、
打ちひしがれた感覚であった。

そしてこのとき、
多くの人が考えたように私も、

「この次、バブルが来たら絶対に逃さない!」

と強く思った。

あれから
二十年あまり経った日本、

「この次のバブル」

などついぞ来ていない。

しかし・・

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投資家として、そしてFA(ファイナンシャルアドバイザー)として海外で20年間生き抜いてきた玉利将彦が独特の視点から語る海外投資の極意

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