ドサ回りアジア、香港勤務時代(1)

2002年1月、
上海支社から香港支社へ転勤となった。

総勢10人という
小さな所帯だった上海に対し、
日本をはじめとする世界各地の
販社向け商品の生産管理と、
アジア地区の販社を兼ねている
香港支社は100人近い人員を抱えていた。

自分と同じように
本社から出向している
日本人駐在員も30人ぐらいいた。

何もかもがトップとの
直接相談ベースで柔軟に
仕事を進めていた上海に対して、
香港では朝礼や定期ミーティングがあり、
稟議をあげたり、報告書を書いたり
という定型的な手続きが多かった。

まあこれが
「会社」として普通の姿なのだが、
前職での輸入ビジネスから
上海での会社の立ち上げと
6年あまり何もないところから方法を考えて、
自分でルールを作ってきたので、
敷かれたレールの上を走るような
仕事のやり方に窮屈さを感じた。

文明生活になかなか馴染めない
原住民みたいなものだろうか。

ともあれアジア営業部門に配属され、
中国、台湾や東南アジアでの自社製品である
玩具の販売を担当することになった。

販売といっても
自分で商品を売り歩くわけではない。

各国にはデパートや小売店に
販売網を持った代理店が存在し、
我々営業担当は商品展開の計画や
プロモーションなどの企画を立てて
代理店からより多く受注することが仕事だ。

だいたい毎月
1週間ぐらいは担当国を訪問して
打ち合わせや市場観察をおこない、
3日は日本に行って本社でミーティング、
3分の2を香港での業務に充てる、
といったサイクルでの生活。

タイ、シンガポール、
マレーシア、ベトナム、
一旦香港に戻って3日後に日本へ。

ホテルで目覚めると
見上げる天井はどこも似たようなもの。

まず自分がどの国にいるのかを思い出す。

それが毎朝一番にやることだった。

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投資家として、そしてFA(ファイナンシャルアドバイザー)として海外で20年間生き抜いてきた玉利将彦が独特の視点から語る海外投資の極意

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