グローバリズム(英: globalism)
地球上を一つの共同体とみなし、
世界の一体化を進める思想である。
現代では多国籍企業が国境を越えて
地球規模で経済活動を展開する行為や、
自由貿易および市場主義経済を
全地球上に拡大させる思想などを表す。
地球主義、全球主義などとも言われる。
ナショナリズム(英: Nationalism、民族主義、国家主義、国民主義)
民族主義、国家主義、国民主義などと訳されるが、
「ナショナリズム」とカタカナ表記もされる。
文脈により多様に使い分けられており、
その一義的な定義は困難である。
主要な論者のひとりであるアーネスト・ゲルナーは
「政治的な単位と文化的あるいは
民族的な単位を一致させようとする思想や運動」と定義しており、
十全とは言えないものの、
この定義が議論の出発点として
ある程度のコンセンサス(意見の一致)を得ている
辞書を引くと小難しいが
平たく言えばグローバリズムは
国境や人種・民族の概念が薄くなってゆくことで、
ナショナリズムは国境の内側は自分たちの縄張りで、
外側は自分たち以外の人の縄張りという
概念がはっきりしていることではないかと思う。
ナショナリズムでは
内側の利益を優先するが故に
外側とは対立する構図が生まれやすくなる。
どちらが先にできたかというと
それはナショナリズムである。
自分により近い者の利益を
守りたいというのは人間の本性だろう。
まずは
自分の利益が最優先でその次に家族、
その次に友人・仲間、、という順番で
より利益を得てもらいたい、
幸せになってもらいたいと感じるはずだ。
そう感じる範囲内の人を
便宜上「内側の人間」とする。
(自分よりも他人の利益を
優先する聖なる人物も存在するが
全体から見るとごくごく少ないはず)
逆を言えば、
自分から関係の遠い人になれば
なるほどどうでも良くなってゆく。
そうして自分から
近い存在を広げてゆくと
だいたい同じ民族とか同じ国民とかまでが
「内側の人間」に入るはずだ。
人間社会の大規模な利益の相反、
例えば政治的対立や経済的対立は
だいたいこの単位で発生する。
皆が幸福になれれば良いがそれは困難。
どちらかしか
満足な利益を得れない場合、
内側の人は協力して外側の人と争うのである。
内側の人の利益の優先、
それがナショナリズムの原型だろう。
ではグローバリズムが
優先しているのは何かというと
それは人間社会全体の
利益とか効率ではないかと思う。
グローバリズムの例として
企業の生産拠点の海外移転という事象がある。
従来国内で
同胞の労働者を雇用して報酬を支払い
すばらしい商品を作っていたA国の企業が、
自国より人件費の安いB国に工場を移転して
生産をはじめるというようなことである。
そうしたおかげで
B国の人たちが新たに仕事を得られるようになり、
商品の生産コストが下がって
世界中のより多くの人がその
すばらしい商品を入手できるようになり、
企業の売上や利益も拡大した。
ところがこれによって
本来A国で働いていた人は
失業して不利益を被った。
社会全体の
プラスマイナスで見ると
プラスが大きいが失業したA国の
労働者は決してそれを望まないはずだ。
安い賃金でも
喜んで働く移民が自国へ流入して
本来そこに住んでいた本国生まれの人が
仕事を奪われた、あるいは所得が下がった
というのもグローバル化の側面だ。
そうしたグローバル化の
不利益を被った人たちの意思の反映が
昨年のブレグジットであり、
アメリカのトランプ政権誕生ということになる。
今年相次いで
大きな選挙が行なわれる欧州でも
ナショナリズムを標榜する
極右の台頭が目立ってきている。
今後グローバリズムとナショナリズムは
どちらが主流になってゆくのか?
あくまで個人的な考えだが、
やはり世界は徐々にグローバリズムが
広がる方向に傾いてゆくのではないかと思う。
昨年から相次いで起こっていることは
ここ20年ほど急速に広がってきた
グローバリズムに対する強烈な揺り戻しであると思う。
だが科学技術や交通網が発達し、
地球の主要な地域へはどこへでも
数時間から10数時間で到達することができるようになり、
インターネットによってあらゆる情報が手に入り、
それが自分が解する言語に瞬時に翻訳される。
技術革新は
あらゆることの効率を高める方向に動き、
そうした進化を人類は止めることはできまい。
それについて行けない
企業や個人はやはりこの先
厳しい立場に立たされるはずだ。
ナショナリズムの台頭により
グローバル化の進捗が多少なりとも停滞するなら、
それはそれでキャッチアップの
好機といえるのではないだろうか?